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リーディングスタイル・⾧江貴士さんによる 『女の偏差値』最速レビュー!

男の場合、スーツがある。

何かフォーマルな場がある時、とりあえずスーツを着ていけば「間違っている」ということにはならないだろう。もちろん、スーツにもたぶん、色んな種類があったり、流行があったりと、僕にはよく分からない色んな違いがあるのだと思う。詳しい人が見れば、「こういう場なのにあんなスーツの着こなしで」なんて風に見られるのかもしれない。まあでもそれは、「スーツ」という、思いっきり外枠が限定された領域の中での話なので、女性と比べたらどうってことない話だろう。

女性の場合、選択肢が山のようにある。

和装か洋装かでまず違うし、恐らく和装にしても洋装にしても、こういう場面ではこういう感じという、なんとなく定まっているルールみたいなものがあるのだろう。しかも、流行についても考えなければならないし、自分がメインなのかメインとなる人が別にいるのかでも違う。装飾品やバッグ、靴などとの組み合わせも考えなければいけないし、その選択肢は膨大だ。

さらに、そういう選択が可能になるためには、お金も必要だし、何よりも、体型についても気を配らなければならない。

そしてだからこそ、林真理子のエッセイは、多くの女性に受け入れられるのだろう、と思う。

【自分は本当におしゃれじゃないなあと、つくづく思うのは、パーティーに出た時。
ちょっとしたおしゃれなドレスを持ってない。持ってはいても、小さくなって着られない。】

彼女のエッセイの“中心問題”は、ここに尽きると言ってしまってもいいだろう。林真理子は、毎晩のように会食がある。それは、予約の取れないレストランだったり、どうやって予約をするのかも分からない相撲の枡席だったり、取材のために自腹で行く京都の料亭だったり、芸能人がわんさか出席するパーティーだったり、自分が主役になる場だったりと様々で、それぞれ毎に求められているものが違う。その違いを、男である僕(きらびやかな世界にも特に関心がない)には明確に捉えることは出来ないが、女性は、彼女の記述から、敏感にその違いをイメージするだろう。そして、彼女が置かれている状況に「羨ましい」と思いつつ、「あー大変」と思っているのではないだろうか。

この「羨ましい」と「あー大変」の配分が絶妙なのだ。林真理子が、「凄いパーティーにお呼ばれした」みたいなことだけ書いているのであれば、「羨ましい」という感情が次第に悪意を帯びてくるんじゃないかと思う。しかし彼女は、「そういう場所に着ていく服がない」「服はあるんだけど全然痩せられない」「痩せる努力はしてるつもりなんだけど、食べるのが好きだから食べちゃう」「結局そういう場では、気後れしちゃうようなこともある」というようなことを率直に書く。それを読んで、「あー大変」と思う。
女性も、きっとそうじゃないかと思う。そういう世界には、もちろん憧れる。毎日キラキラしている。有名な人にだってたくさん会える。美味しいものも食べられる。普通の人が入り込めないようなところにも行ける。でも、そういう日常を生きるのは大変。こういう努力をし続けないと、そういう場にはいられないのか…。じゃあ、私は羨ましいと思うだけでもいいかも。読者はそんな感覚を得たくて、林真理子のエッセイを読んでいるんじゃないかなと思う。

印象的な話があった。テレビで樹木希林が話をしていた、と本書で紹介しているのだが、「映画祭では女優はすごいピンヒールを履いてるけど、ステージを降りたらスリッパに履き替える」という話だ。これも、一般人からは見えない世界だ。映画祭に出るような女優も、「華やかな一瞬」のために無理をしている。でも、イメージが重視される女優の場合、そういう話は表にはなかなか出てこない。林真理子は、自分を“モルモット”のようにして、「華やかな世界ではうまくいかないことも多い」という面を隠さずに出していく。そういう部分に、共感されるんだろう。
さらに彼女が共感される理由が、こういう部分にあると思う。

【まぁ、いろんな生き方があっていいわけで、昔からお金持ちに女の子がなびくのは世のならい。が、私
のモットーは、「自分の金で自分の食べたいものを食べる」】

その後に続けて、フリーランスになった頃通っていた鮨屋の話をする。当時彼女は、風呂なしのアパートに住むほどお金がなかったが、それでも月に 1、2 度、近くの行きつけの鮨屋に通っていた。今でも、会食などは出来るだけワリカンにしてもらっているという。

お金については、こんな話もある。

【やがて請求書がやってくる。人が思っているほど高くはないが、まあ安くはない。しかしこういう小説は、取材費をいっぱい遣わなければならないのである。なぜなら、出版社のお金で、たまーに行く人になんか誰も本当のことを喋ってはくれない。ちゃんと自分のお金を遣っているか、京都の人はちゃんと見ているのだ。】

日々華やかな世界を飛び回っていて「羨ましい」と感じても、それは彼女自身が自らの努力によって掴み取ったもの。使うべきところできちんと自分の時間とお金を使うから成り立っている。そういうことがちゃんと伝わるからこそ、彼女の日常を、すんなり受け入れられるのではないかと思う。

「美女入門」のシリーズはやはり、「女性としてどう生きるか」ということが大きなテーマになっていく。林真理子自身の奮闘がメインではあるが、他の女性の生き方についても触れられることがある。「結婚なんかしなくても幸せに生きている女性がたくさんいる」とか「年下の男性と関わりを持っても男女の仲にならないことが⾧続きのコツ」など色んな話が出てくるが、僕が本書の中で一番興味深く読んだのが、キョンキョン(小泉今日子)の話だ。

不倫をして大騒ぎになったが、キョンキョンは待ち時間にいつも本を読んでいるほどの読書家。そこから林真理子は、キョンキョンが一人の時間を持っていること、そして、不倫を責められている時にありきたりの言葉でごまかしたくなかったことなどを想像し、彼女の振る舞いを肯定するような書き方をする。

【どうか不倫というひとくくりで切らないでほしい。不倫という汚ならしい名前をつけて、すべてを叩き切る風潮、もうやめにしませんか。ちゃんとこのことについて考えてみませんか、と彼女は言いたいのではなかろうか。
キョンキョンは、いつも時代の先頭に立ってきた。そして今、自分の体を張って時代を試そうとしている。私はそう思う。】

林真理子自身も、それぞれの時代時代の空気の中で、「女性であること」のプラスとマイナスをすべて受け止めながら全力疾走し続けてきた人だ。だからこそ、今も時代の最前線にいるように見えるキョンキョンに、エールを送りたい気持ちになるのだろう。こういう、時代を鋭く捉える感覚もまた、彼女のエッセイが読者に与える大きな部分であるのだろう。

●⾧江貴士(ながえ・たかし)
1983 年静岡県生まれ。出版取次勤務。大学中退後、10 年近くの書店アルバイトを経て、2015 年さわや書店入社。2016 年、文庫本(清水潔『殺人犯はそこにいる』)をオリジナルカバーで覆った「文庫 X」を企画、販売。2017 年、初の著書『書店員 X「常識」に殺されない生き方』(中公新書ラクレ)を出版。